飛脚はもういない

日本製紙の釧路工場の生産ライン3基のうち1基を停止するというニュースが数日前に報じられました。釧路も含めて全国3工場で生産を縮小するとのことで、苫小牧では勇払工場自体が生産を停止するそうです。
製紙は釧路市の基幹産業の一つですから地元経済への打撃は避けられない。

背景にあるのは新聞紙はじめ紙需要の落ち込み。
私自身これはもろ思い当ります。
日本経済新聞は以前は電子版と紙版の併用だったのですが、電子版を読むことが圧倒的に多く紙は読まずに資源ごみに出すだけなので、月々600円の差額ではあるのですが、数カ月前から電子版だけにしたのです。

日本全国同じような人がいるわけで、この流れは加速する一方だと思います。
生活がどんどんネット化、スマホ化してきて、本屋に行かなくなり、雑誌も久しく買っていないことに気付くのです。

かといって文章を読んでいないかというとそうではなく、毎日凄い量のネット記事を読んでいて、それはネット・スマホ化以前の比ではないのです。

ところが同じ紙でも段ボールの需要は絶好調なのです。
同じ釧路市にある王子製紙は数年前に段ボールに主力商品を切り替えてこの流れに乗っている。

これもまた僕自身思い当るフシが多いにあります。
日々畳んで出す段ボールの量の増えたこと。Amazonはじめネット通販で買うことが圧倒的に多く、これもまた全国に同じような人が延々と増え続けている。

同じ「紙」でもこの違い。時代の変化がかたや一般紙の需要を激減させ、かたやダンボールの爆発的需要を生み出している。

企業のビジネスモデルを構想する時に、この時代の潮流をどう読むか、その情報をいち早く捉え取捨選択して次の食い扶持を決定していくセンスが経営者に求められているのだと思うのです。
これは大手製紙メーカーだけの話ではなく、企業規模関係なく全ての事業者に今や突きつけられているように思います。

時代は一様に経営環境を悪化させているわけではなく、むしろ激しい変化がチャンスを数多く生み出している。そこを捉えてモノにできるかどうかが企業に求められているのです。

かつて明治維新と共に明治新政府が新橋-横浜間に鉄道を最初に敷設する計画を発表したところ、思わぬところから激しい反対運動が起きたという話を以前ブログで書きました。
反対したのは飛脚、籠屋、馬引きなど当時の旅客貨物の運送業者だったのです。
自分達の仕事を脅かす存在が鉄道だった。
案の定、それらの仕事は鉄道敷設後あっという間に消えてなくなりました。
しかし、その代わりにはるかに多くの富を生み、雇用を生み、関連産業を生み出す鉄道事業が誕生した。

今、10年後に消える仕事と言われている職業も同じように本当に消えていくに違いありません。
しかし今はたとえ消えてもさらに多くの価値を生みだす新しい産業が次々に出てくるカンブリア紀みたいな時代なのだと思います。

いつまでも飛脚のままではいられないのです。