失敗の大半は入口にあり

先日、お客さんから新しい商品のチラシをつくったので意見を欲しいとのこと。

こういう場合に、一瞬で良いか悪いかを判断します。
これはこのチラシを見るお客さんも同じ。

何が言いたいかというと、こういったメディアの良い、悪い、の第一義は「一瞬で、引きを得られるかどうか?」に尽きるということです。

例えばそのチラシを見て、それ以上読もうか?読むまいか?一瞬で人間は判断します。もっと読みたいという引きが無ければ、中まで読まない。ということはこのチラシは失敗ということ、存在しないのと同じ。

ですから失敗の大半は入口で決まってしまうということなのです。

ではその僕が見たチラシはどうだったのか?
ブー・・でした、残念・・・。
引きがなかった。
その商品の説明は沢山書いてありました。
商品自体もとても魅力的で有望な商品だと思いました。
でも、引きがなかった。

引きがなければ読まれない。
だからせっかく書いた商品の詳細な説明は読まれない。

なんと残念なことでしょう。
でも、世の中の殆どのチラシや広告はこんな感じです。
多くの人が犯しがちな失敗。

では、このチラシが全て間違っているか?
というとそんなことはありません。
概ね正しい、でも一番大事な部分が欠けている。

概ね正しいということは、そのまま使うべきなのです。

何言っているんだ?間違っていると言ったり、正しいと言ったり、と思いますよね。

はい、実はこの作ったチラシはそのまま使います。
文言も殆ど変える必要はありません。
だって、自分の商品を一生懸命余す所なく伝えているんですから、これは絶対必要な情報なのです。ですから、これはそのまま変えずに活かす。

ではどこを変えるのか?
「引き」を今のチラシに被せるのです。

被せる「引き」とは何か?
まず第一義に商品名、さらにそれにつけるキャッチコピー、枕詞(説明する文言)です。

ここが「引き」の命です。

さらに引きの要素しては、顔出し、感情(笑い、怒り、熱さ、楽しさなど)の演出などです。

そういう意味では
1.商品を正しく伝えるための詳細な情報(価格や商品名も含む)
2.一瞬で読んでもらうため「引き」の諸要素
の2つに分けて考えた方が良いと思います。

冒頭の事例でもそうでしたが、2の「引き」が欠けていることが圧倒的に多い。

「引き」のないメディアは入口のない家と同じ。
誰も中に入れないのです。